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2007年11月22日 (木)

『五感』についての考察を
“味覚”「五感」(補足)
“聴覚”「ANNIVERSARY」
“触覚”「解」
“嗅覚”「墨すりて…」
とやってきましたが、
最後の“視覚”については「瀧」を
サンプルにしてみたいと思います。

人間は目を瞑っても何もない暗闇にはなりません。
目を瞑ったその前に手をかざしてみてください。
手の影が見えるはずです。
そしてその手を瞼に当ててみてください。
するとiTunesのビジュアライザーのような模様が暗黒の中に広がります。
森大衛は幼い頃からこんなことをして秘かに楽しんでいた
変な子供だったのですが、同じようなことがきっと
人間の脳裏にもあるんじゃないかと思うんですね。
これは強引に残像を見る方法ですが、
他の“四感”にもきっとあるはず。
感情的なものではなく感覚として。

Row

さて、この「瀧」は2005年の独立書展の
海外紹介作品10点に選抜された作品ですが、
「瀧」そのもののではなく「水」と「龍」という意味で
選んだ文字です。ドラゴンシティーと呼ばれる
香港の夜景を想起して描きました。

Hongkong_007

しかし、そういう具体的な観念を押し付けて
しまうことは本当は良くないことです。
書家が自らの書についてウンチクを語ることほど
野暮なことはありません。
見た人が全く違うものを想起してもなんら問題はなく、
逆に作者のウンチクは芸術を放棄する行為といってもいいでしょう。
公募展は解説をつけて出品するわけではないですから、
その技法と芸術性と精神性を無言で提示し、
見る人にとってはそれが華厳の滝でもナイヤガラの滝でもいいのです。

では、なぜ今回野暮なことを言ってしまったかというと、
自分の中で何か一点に集中的に絞り込んだエネルギーが
別次元にまで広がることが十二分にあります。
ですから、制作者が敢えて着目点を提示することが、
さらに多面性に広がる場合もあることを知ってもらいたかったからです。

五感で感じた感動を自分というフィルターを通してどう消化し、
昇華させるかが表現者としてのエキサイティングな行為であり、
見る人の醍醐味ではないでしょうか?

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コメント

深く暗い滝壷から巨大な龍が水しぶきをあげながらトルネードしている様が見えます。

そのインスパイアが香港というのは意外でしたが、地球規模であの街をイメージすると納得です。

投稿: 達哉 | 2007年11月24日 (土) 12時17分

解説の無い、無言の作品を見て感覚を膨らませていく事が好きです。

創り出した方の想いと、見る側の心の状態が混ざり合う感覚が楽しいので。

ブログを読ませて頂いて、表現するワクワクする気持ちがわいてきました。

自分のフィルターを磨いて、自由に表現を楽しみたいです(^^)

ありがとうございました

投稿: 空 | 2007年11月23日 (金) 04時57分

五感って人それぞれ違うのでおもしろいですね!

先生の作品も同じものがないのは五感がその時

その時で違うからですね。

夫婦でも五感は違います。

人は不思議。

投稿: まゆみ | 2007年11月22日 (木) 19時22分

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