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2008年7月13日 (日)

'90'91といえば

その頃はバブルの絶頂期だったように思う。


でもそれはブラウン管の中だけの話。森大衛とバブルは無関係だった。


個展のムードはバブリーだったかもしれない。でも設営はほとんど文化祭ノリ。
デザインの仕事をしている友人や、東京で映画や舞台の仕事をしていたが
親の面倒を看なくてはならなくなって富山に戻ってきた友人や、
芸大に落ちて国立の工芸科がある高岡短大に来た若者達が、
無償で手伝ってくれたからだ。


みんな貧乏だった。森大衛は一袋68円のパンの耳が主食だった。
仕送りをしてもらっていた学生達より明らかに貧しかった。
しかし、それゆえに夢があった。また彼らの審美眼は厳しかった。
彼らの存在が励みになり、彼らが共感してくれなければ開催には至らなかったと思う。


そんな中、書道界での森大衛の噂はというと、
「彼はいいとこのおぼっちゃまだからあんな派手な展覧会が出来るそうよ」
うちの母親が美容院でたまたま隣になった見知らぬ書道の先生が
本人の親とは知らずに言った言葉だそうだ。
「おぼっちゃまだって!それってどこの誰?(笑)」
まあ、他人からはそう見えていたのなら、展覧会は成功だったということだろう。


さて、ひとつの大仕事が終るか終らないかのうちに、
全く違う欲望が沸き上がるのが森大衛のあまのじゃく的性格だ。
小さな個展から大きな個展、そして次は何を…


すべてのエネルギーを一枚の作品だけに注入したい。


日頃から半紙の「臨書」は鬼のようにやっていた。
臨書こそ書家にとって最大の「功徳」だからだ。
筆も墨も半紙も練習で使うものですら高額のものを使っていた。
貧乏のくせにそれだけは譲れなかった。美容師が使うハサミのようなものだ。


「もうこれ以上のものは書けません!ごめんなさい。と言えるような作品が書きたい」
そう思った森大衛は、作品『掴』の制作に取りかかることになる。


つづく

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