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2008年7月

2008年7月31日 (木)

'83「輪廻」

「廻」という字は以前から書いていた。


高校3年の時に、市展に入選した「輪廻」がそうだ。

Rinne


当時はまだ臨書の重要性も知らず、
「書道は想いを伝えるアートだ!爆発だ!」などと
オツムの弱い恥ずかしい発言を繰り返していた。


一応、鶴木大寿先生や大平山涛先生の筆法が、
五目ご飯のように散りばめられているので、
指導者クラスの大人ばかりの市展で入選できたのかもしれない。


この作品は社会科の担当でお寺の住職でもあった串田先生に、
「うちの寺に飾りたい」と言われ、現在も本堂の入り口に飾られている。

串田先生には、門徒ではないのにお寺の行事の「写経」によく駆り出された。
夕飯をご馳走になったり、バイト料までもらったりして、
小さな写経から大きな作品までいろいろお世話になった。


そういえば、昨年の春、富山県警からの依頼で、
「富山被害者支援センター」の看板と、
その会員証の「慈」という文字を書くことになり、
出向いたところ、センター長が国語の中島先生でビックリした。
しかも中島先生は現在米谷先生に書を習っているとのことでさらにビックリ。
世間は狭すぎる。

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Photo


中島先生と懐かしい出来事や人の話をしていたところ、
串田先生が数年前に亡くなっていたことを知った。


「そのうちまた会えるだろう」と思っていた人に
もう会えない空虚な現実に大きな溜息が出た。
今も思い出しながら大きく息を吸い、
そして吐く行為で空しさを落ち着かせている。


これまでもこれからも、いろんな人とのありがたい出逢いが
人生の「廻」なんだと思う。


つづく

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2008年7月28日 (月)

「廻」その後

大作部門の審査風景を出品者は見学できる。
10月頭の日曜日に会場である目黒の書道専門学校に向かった。


全国から120点ほどの応募があり、選ばれるのは7,8点。
残りの110点以上は日の目を見ることがない。
すべて準会員と会員のみであるからしてそのレベルは相当高い。
しかし選ばれた7,8点を見ることはあっても、残りの110点は見られない。
もちろん見学したからといって選ばれやすいわけではないが、
どんな作品が集まるのか見てみたい。


「見学者はお静かに!」
審査会場の入り口近くに並べられた椅子に30人ほどの見学者がいただろうか。
遅く着いた森大衛は部屋に入れず、廊下から入り口の壁に寄りかかって
審査風景を覗き込んでいた。


「はい、こちらの作品」

進行係以外は誰も一言も喋らない。7人の審査員も無言で挙手をするだけ。

「はい、何点!」

それはまるで裁判を傍聴しているかのようだ。


120点が一巡した後、ふたたび獲得点数ごとにふるいにかけられる。


遅れて会場に行った森大衛は一巡目に自分のがどうだったかを知らなかった。
自分の作品がふるい落とされる場面を見ずに済めばその方がマシ。


そう思って目の前に順番に広げられる作品と審査の結果を「なるほど」と
思いながら見ていたところ「廻」が登場した。
少字数部門の高得点獲得3作の中に残っていたのだ。


現代文体、仮名、臨書など、部門別に分けられて展示作品が決定する中、
少字数の審査は最後の最後に回されていた。

そして、一旦休憩を挟んで少字数部門は審査されることになった。


しかし休憩といっても、審査員が「あの作品はどう、この作品はどう」と
小声で話しているだけで、休息をとっているわけではない。


そして最後の挙手が始まった。


緊張で火照った顔で見つめる森大衛の前で「廻」に満票7人の手が挙がった。


ビックリした。いや、唖然とした…


「お疲れ様でした!」
運営係の人達が手早く120点の作品を返送用の宅配便の袋に詰め込み、
「見学された方は各自お持ち帰りください」との声がかかる。
見学者はそれぞれ自分の作品を持ち帰ってよい。
入選者は各自で業者に作品の額装を依頼することになっている。


「廻」が入った袋に手を伸ばし出て行こうとしたところ、
I先生に「おい君、それは入選作品だよ」と引き止められた。


「あのぉ、入選したんですけど…」


「そ、それは失礼しました…」


「いえいえ…」


その後、希望者は別室で審査員から各自の作品についての
批評を聞くことができる。
せっかくの機会なので森大衛は聞きに行くことにした。


「廻」を広げ、審査主任の上松一条先生に見せると
「これは入選作品じゃないか!」と僕の顔を見て驚いていた。
指導を仰ぐのはほとんど落選者らしい。
よく考えてみれがその通りだ。
しかし、初めてのことでよくわかっていなかった森大衛は、
「あのぉ、なぜこの作品が選ばれたのでしょうか?」と聞いた。


上松先生の答えは、

「入筆から最終画までの筆意の流れ、展開がよかった」

「そうなんですか…」

相変わらず呆然としている森大衛。


そうこうしているうちに、他の見学者や審査員や運営係の間で、
「あの作品は今年準会員に昇格したばかりのあの若いやつが書いたものだ。」
という情報が流れた。I先生が言ったらしい。


批評会が終り、専門学校を出て通りに出ようとしたところ、
遠くから「おーい、森くん!」と呼ぶ大きな声が聞こえた。
振り向くと貞政少登先生だった。


「作品、気を付けて持って帰るんだぞ!」

「はい、ありがとうございます!」


貞政先生との会話はそれが初めてだった。
あの夕暮れの光景は今でもしかっり目に焼き付いている。


つづく

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2008年7月27日 (日)

さて

おはようございまっすnote

今日も一日がんばろーっすup


寝起きsweat02
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2008年7月26日 (土)

「廻」

この個展も終り、独立に応募する大作に取りかかることとなった。


前年までのように評価を焦ってはいない。焦っていなかったがゆえに、
あっという間に9月下旬の〆切が迫ってきた。ヤバい。


しかし、何ヶ月も前から子供達を教える書道教室の添削に
ちょっとした空き時間ができると朱液で半紙に草稿は書いていた。
タテヨコの比率に合わせて半紙を指でカットして、
「この位置から入筆し、この位置で角度を変え、ここでガーっと行く!」


大きな紙に書くということは、全体像が把握しづらくなる。
ならば、小さな紙で高い視点の俯瞰で見る感覚で構築を想定すべきだ。


書く文字は「廻」に決めていた。


筆法は空海を基本とした。具体的に空海のどの文字がこれだ
というものではなく、線の食い込みや筆のつり上げやひねりなどの
展開がそうだということだ。
展開が揺るぎのないものになっていれば、たとえ感情的なものが
激しく爆発したとしても書芸術としての風格は失われない。
この信頼とは保守ではないということはそういうことでもある。


朱で書いた半紙の草稿は、軽く1000枚を越えた。
稽古場に行ってから、子供達に使わせる半紙や添削の朱液が
少なくなっていることに気が付き、
「今日は集中して1人3枚だけで仕上げよう!」とか
「今日のお手本は君たちの筆を使います!」とごまかしたりした。
実際子供達は集中したし、それぞれの筆で手本を書いてみせることは、
指導としては悪いことではない。
しかし、自分が紙と墨を使ってなくなっちゃってたのが原因というのは
あまりよろしいことではなかったかもしれない。


リリースから1年近く経ってもずっとループさせて聴いていた
ユーミンの「TEARS AND REASONS」
「恋の一時間は孤独の千年」というラテン系の曲の次にラストの「CARRY ON」
そしてまたオープニングの「無限の中の一度」に戻る流れが好きだった。
稽古場に行く車の中で聴き、部屋ではプロモーションビデオを流していた。


とうとう〆切前日になってしまった。
アトリエの机をずらし、毛氈を敷き、紙を繋ぎ合わせ、茶系の淡墨を
大きなタライになみなみに入れ、買ったばかりのデカい筆をその中に浸し、
一気に「廻」を書いた。


乾くまでに相当時間がかかった。
もう1枚書いてみたいが下敷きが渇くまでにさらに時間がかかる。


そういえば、このサイズの作品に合う落款印を作っていなかった。
乾くのを待つ間に彫らねば。


印は仕上がったが、作品はまだ乾かない。
ドライヤーの熱を作品と毛氈の間に送りながら必死に乾かし、
印を押して仕上げたのが夜の7時。


知り合いの宅配便屋さんに頼み込んで翌日必着で発送した。


Kai


つづく

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2008年7月25日 (金)

'93羽田にて

さて、当時は時々ANA富山支店から葉書の宛名書きの仕事を依頼され、
その報酬を富山ー東京間一往復分の優待券でもらっていた。
相変わらず貧乏だった森大衛にとってそれはとてもありがたい。


よく憶えていないが、5月頃のよく晴れた日だったと思う。
<世界芸術協議会大賞>を受賞した「龍翔鳳舞」を、
銀座のセントラル美術館に見に行った帰り、早めに羽田に着いた森大衛は
搭乗待合室のソファーで少しうとうとしていた。


5分も眠っていなかったと思うが、ふと我に返り目を覚ますと、
隣りに美輪明宏さんが微笑みながら座っていた。
あの金髪ヘアーに当時流行し始めたストレッチドレープのシルバーのドレス。
テレビのイメージそのままだ。


「うわっ」それが一番最初の正直な感想。


隣りの人を凝視するわけにもいかず、戸惑いながらうつむき加減に自分の
靴紐を見つめていたが、美輪さんがニコニコしていたのは判った。


「有名人がこんな至近距離にいる時ってどうすればいいんだろ?」
しかもそれが美輪さんであるからして緊張するのは当然だ。
「今日は良いお天気ですね。どちらまでですか?」とでも話しかければいいのか?
いや、そんな勇気はなかった。


勇気はなかったが、なぜか心の中で美輪さんに語り始めていた。
「僕は書道をやっていて、去年独立書展で特選を貰って、今年も頑張ったけど
また特選で…。でもその後、何気なく出品した展覧会で「日本象書大賞」ってのと
「世界芸術協議会大賞」ってのをもらって…。」
この約2年間の出来事を思い出しながら、無言で美輪さんに話しかけていた。


話しかけているうちに目が潤んできた。潤んできたのでまた寝たフリをしようと
瞼を閉じたらこぼれそうになったので、嘘のあくびをして頬づえをつく仕草で拭いた。


凛と背筋を伸ばして座っている美輪さんは菩薩のように思えた。
まぶしい黄色が寺院の金堂のように思えたといえばそうかもしれないが、
菩薩は男でもあり女でもある。


しばらくして二人同時に席を立ち、僕は富山便、美輪さんは広島便のゲートに向かった。
美輪さんはゲートに搭乗券を差し出す瞬間、一度振り返ってニコリと僕に微笑んで
ゲートの奥に消えていった。


つづく

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「龍翔鳳舞」

淡墨で染めた300m分の布を作品の表装に使用した第1号作は、この「龍翔鳳舞」。


Ryusyo
※読みは右から


ここ数年の熱情的な作風とは趣きを変え、
大きなスケールで幻想的な世界を表現したいと思った。

そして、それは日本の城に飾ろうとも西洋の宮殿に飾ろうとも
決して見劣りしないものにしたいと思った。

そのためには筆の展開と紙面の空間処理、そしてそれを囲む
表装が呼応しなければならない。

どんな面持ちで紙に向かったかは憶えていない。
しかし、「龍が翔けて、鳳が舞う」かのごとく筆を馳せ、
この作品はそれぞれ一気に1枚で仕上がった。
もう一度書くとなると、この空気感はもう出ないと思う。
書き始めて最後の画に至った時の高揚感と筆触の心地よさは
今でも憶えている。


この作品は93年春に開催された「第2回日本象書(しょうしょ)会展」
に出品し<大賞>を受賞した。まだ2回目の展覧会でもあり、
第1回の大賞受賞者は、発起人の柴山抱海先生本人であり、
この展覧会は書道界にありがちなキャリアの序列や貢献度で選ばれるものと、
お付き合いで出品したつもりだったが、柴山先生に「君に決まったよ」と
伝えられ驚いた。


その後、詳しくは忘れてしまったが、銀座のセントラル美術館で開催される
展覧会事務局からの要望でこの作品を出品したところ<世界芸術協議会大賞>を
受賞したとの通知と楯が届いた。


しかし、実はこの時の森大衛は、すでにこの個展の作品制作に意識が飛び、
受賞の喜びや感慨深さはさほど感じていなかった。


過去のものが評価されるほど、次のものへのプレッシャーは大きくなる。
しかし、その評価とプレッシャーが大きな原動力にもなる。


つづく

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'93個展

「不滅」の特選受賞で準会員に昇格した森大衛の次の目標は、
大作部門での入選だった。

当時の独立書人団の大作部門は準会員以上にならなければ応募できなかった。
大作部門とはその名の通り超巨大な大作であり、独立書人団の真骨頂である。


現在は、会友も応募できるようになり、去年からは高校生の大作展が
秋に開催されようになった。ちょうど今、全国の書道部員あるいは
書道教室に通う高校生がその制作に励んでいる頃だろう。


ちなみに高校生向けの公募展の提案者は、何を隠そう森大衛だ。
「普段指導している人間と、指導される高校生の間には距離間があるかもしれない。
お互いの距離を縮め、将来を担う若い世代にも書芸術の醍醐味を体感して欲しい。」
そんな想いからだ。

ただ、森大衛の提案は大作ではなかったのだが、本部役員の先生方が
練りに練った最終形が高校生大作展に至り、去年の第1回展では
全国から150点を越える応募があったそうで驚いた。

入選入賞した作品は、相当レベルの高いものばかりでさらに驚きだ。
めちゃくちゃなパフォーマンスでセンスの欠片もない
目立ちたいだけのおかしな書道家など足下にも及ばない。
150点以上の応募作品から勝ち抜いた作品ゆえ、当然といえば当然だ。


さて、話を昔に戻そう。
森大衛の次の目標、大作部門の入選は長期の目標であり、
これまでのような切羽詰まった感覚はなかった。


それよりも6月に3回目の個展を行なうことになり、それに向かって突き進んでいた。

これがその案内状。
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そして会場風景。
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「永遠の不滅空間ー森大衛展ー」というわけのわからないタイトルだったが、
それは友人達とのディスカッションによって生まれたものだ。
分かりやすく言えば、鮮烈に視覚に残る作品群という意味だろう。


Koten9303


作品主体であるから前回のような天井から会場を覆うデコレーションは控えた。
300m分の布を作品のマットに使用するというのも作品が主体ということだった。


つづく

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2008年7月23日 (水)

チラ見せ

先日お知らせした個展のようなもの
本日7月23日(水)から8月11日(月)まで、
西武池袋本店8F池袋コミュニティ・カレッジ内の
「ギャルリーモーヴ」で行われます。


1F入り口にも3点あります。
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8Fのギャラリーはこんな感じ。
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「不滅」その後

これが<独立賞>最後のチャンスと、年始の初詣で祈願し、
9日の発表までそれしか頭になかった。


ヘビーローテーションで聴く「TEARS AND REASONS」のオープニングナンバー
「無限の中の一度」の中のフレーズがまさにその心境だった。


「後がないと知ってた知ってたけど 回り出すルーレットにハートを全部賭けた」


ユーミンの世界のほとんどに人生を悟ったかのようなメッセージはない。
目に映る場面と切ない心情をリアルに描写して投げかける。
決して相田みつを的ではない。だからこそ共感できるし身に詰まされる。


さて、過去のブログを読んでいる人はすでにご存じかと思うが、
「不滅」は翌年もまた<特選>だった。


しかし、前年とは違い、会場に行くと多くの先生方から
「おめでとう!」と握手の手を伸ばされた。
苦々しい顔で「でも…」と言うと、K先生が
「君の作品が最後まで満票だった。でもこれまで独立賞を取った人間の
ほとんどがその後伸び悩み消えていった。そこで長年出品して来た高齢の
次点の人の作品に独立賞を与えることになったんだ。」
祝賀パーティーに行くとS先生からも同じ話を聞いた。


そんなことは聞かなければ良かったのかもしれない…
しかし聞いてしまった以上それを受け止めるしかない。


<独立賞>はもう二度ともらうことはもうできなくなった。
でも、これで準会員に昇格したのだから、これからは焦らずに
じっくり腰を据えた制作活動をしていこう。
それが「無限」であり「不滅」であり「CARRY ON」なのだから。


つづく

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2008年7月21日 (月)

手本書きまくり

今日は「海の日」の祝日なんですね。


でも、朝10時から教室はしっかりやっている森大衛です。


今日は18時まで休憩ナシ。


みんな熱心なので森大衛もモリモリ手本を書いてます。


1箱1000枚15750円の半紙が数回の教室ですぐなくなります。

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赤いリボンで結んであるのがおしゃまだね。ribbon
これ1箱ずつについた状態で中国からやって来るんですよ。


そしてこのあと22時までまた書きまくりです。

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「不滅」

「獅」を書いた時に比べ「不滅」を書いた時のことはなぜかあまり憶えていない。

それよりも、米谷大洋先生から「お前はもう俺のところに来るな!」と
言われたことの方が記憶に残っている。

周りの人達からは「僕は先生のところにいたいですって言いなさいよ」と言われたが、
「先生がそう言われるんだからそうします」と答えた。

米谷先生のところに通って6年ほどだったが、
その間、創作作品の手本は一枚もらったことはなかった。
半紙の臨書手本はずっともらっていたが、それも原本と見比べて
自分なりな解釈で書いて先生に見せていた。

先生は「これでよし。でもちょっと強過ぎるかな?でもそれがお前の線だ!」
と批評してくださり、創作作品については「僕はこれでいきます!」と
自分で書いて決めたものを見せるだけだった。

今思えば、相当生意気なヤツだ。

相変わらず筋トレはしていたが、この頃から筋肉が邪魔に思い、
ダイエットメニューに変えたと思う。
55kg→73kg→65kgくらいに変動していたと記憶している。

まずは、前年通り濃墨で「不滅」は取り組んでいた。
しかし、ここにある「不断」とは違う書体で書きたかった。

古典の筆法が露になり過ぎる作品を、なぜか自分で「お里が知れる」と
マイナスイメージで評価するようになっていたからだ。

書いても書いても納得のいくものが出来なかった。
紙は裂けなかったがバランスが悪い。前年とかわらず苦悩の日々が続く。

さて、いつだったか、息抜きに友達カップルに誘われてドライブに出たことがあった。
他愛もない冗談話で盛り上がりながら後部座席に座った森大衛は、話をしながらも
ちょうどその時間に流れていたユーミンのサウンドアドベンチャーに耳を傾けていた。
日曜の夕方のその番組は夕陽を背に走る車の中で穏やかに流れていく。

その時、初めてCARRY ONがオンエアーされた。

森大衛は思わず泣いてしまった。
しかも豚のように大泣きしてしまい、友人カップルは驚いていた。
すぐに我に返っておどけてみせたが、なんて凄い曲なんだろうと思った。
ずっとユーミンを支持、いや師事し続けてきて正解だと実感した。
そして「ずっと継続する」という意味のCARRY ONは、無限であり不滅の精神だ。

1992年11月27日に発売になったアルバム「TEARS AND REASONS」
ヘビーローテーションで聴きながら、また格闘の日々は続いた。

作品を表装店に送るタイムリミットは、通常より5日ほど伸ばしてもらって
12月15日くらいだったと思う。

でもヤバい。摩った墨がもうない。。。

器の縁にこびり付くように残った墨に、水を少しずつ足しながら枚数を重ねた。
書くたびに墨が薄くなる。しまいには茶系の淡墨になった。
通常、淡墨の作品は青系の隅を使うことの方が多い。
でも、もうこのままいくところまでいくしかない。

最後の最後に書けたものがこれだった。

Humetsu

つづく

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2008年7月20日 (日)

お疲れっす

いま、今日の教室が終ったのだbell

今日も一日お疲れっすhappy01


最後まで残って書いていたIさんを激写camera

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まるで書道教室のようでした(笑)


コメントいらずbleah

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おはよ

もうすぐ渋谷教室が始まる時間。


今日の出で立ちはこんな感じ。

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今日も暑いけど頑張ろうgood(笑)


コメントいらずbleah

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無限と不滅

ここ最近ストイックな内容のブログを書きながら、
「でも、四六時中そうだったわけじゃないはずなんだけどな…」と思いつつ、
「じゃあどう過ごしていたんだろう?」と思い出そうにもなぜか思い出せない。
現在のようにブログというものがあれば書き残していたかもしれないが、
「今日も暑いけど頑張ろうscissors」みたいなブログは書きたくない。


そういえば、土曜深夜のユーミンのオールナイトニッポンに
職人とまではいかないが、思いついたら面白FAXを送っていた。
読まれると送られてくる記念品の「魔法の紙石鹸」というのが
机の引き出しの奥に10個以上あるはずだ。


一度、オンエア中に寝てしまったところにアポなし電話がかかってきて、
「では、歌ってください!」と言われて、歌ったことがあった。

今でもたまにカラオケに行くとやるネタだが、
小田和正氏の「ラブストーリーは突然に」のカラオケに合わせて、
ユーミンの「リフレインが叫んでる」を歌うというネタだ。

「私の方が小田氏より先に作った曲だよね!」という言葉とともに、
「じゃあ、やって!」とちょっと可愛い口調で言われた午前2時。
大スターとの深夜の会話のドキドキ感は今でも忘れられない。
でも、あの時のことはまだご本人に「あれは僕でした」とは言えないでいる。


さて、話をマニアックからストイックな方向に戻そう。

<独立賞>を狙うチャンスはあと一度しかなかった。
というのは、前年の<特選>の受賞により加算点数があと1点で
準会員に昇格するところにまできていたからだ。
準会員に昇格すると独立賞の対象者ではなくなる。


考えてみれば、賞を受賞しなければ1点も加算されないので、
一度だけのチャンスではなかったのだが、
森大衛は次回の展覧会で必ず昇格するものと思っていた。


同じ昇格なら<独立賞>を受賞して昇格しなければ意味がない。


不遜極まりないが、当時の森大衛はそう信じて疑わなかった。


1992年11月末の発売に先駆けて9月にはオンエアされた
ユーミンの「無限の中の一度」
ユーミンが『無限』なら、森大衛は『不滅』でいく。無限と不滅は同義語だろう。


いよいよ残された一度だけのチャンスにかける格闘の日々がスタートした。


つづく

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2008年7月19日 (土)

西武池袋本店にて

池袋コミュニティ・カレッジさんのご依頼により、
7月23日(水)〜8月11日(月)まで、
西武池袋本店8F「ギャルリーモーヴ」にて、
こちらでお知らせしたことをやります。


小さな小さなスペースだし、
「個展と呼べるようなものではない」ので、
大々的な告知もご案内状の発送もありません。
森大衛も会場にはいません。


でもね、生徒達に書いている臨書の手本と、
「いいとも!」で書いた作品が見れるのはここだけ。good

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「獅」<特選>

1992年1月9日だったと思う。


実家に電報が届いていると母親が電話してきた。
「受賞の通知だな」と、アトリエから車で
15分くらいの実家にすぐに向かった。


急いでこたつの上に置いてあった電報の中を開くと
そこには<特選>という文字があった。


「獅」は、トップの「独立賞」の次の<特選>だった。


「あーあ、特選かよ!」と落胆した姿に
母親が「なに文句言っとんがけ?」と呆れていた。


毎年このように審査される独立書展では
<特選>でも相当高い評価を得たことになる。


悔しかった。


本来なら歓喜し感謝すべき受賞であるにも関わらず、
「悔しい」とは若さゆえの不遜な思考だ。
うちの生徒が同じことを言ったら「ボケ!」と一喝するだろう。


いっそのこと公募展への応募は辞めて、
独自の歩みを思考する手もあったかもしれない。


しかし、それは逃げになる。


来年こそは<独立賞>を取る!


そこからまた新たな1年がスタートする。

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2008年7月18日 (金)

「獅」

「獅」なぜこの文字を選んだかといえば、
「獅」という字の一文字作品をそれまでに見たことがなかった。


「燃」はよくある。手島右卿先生も書いているし、
黒田光岳先生もその文字で毎日賞を受賞している。
黒田先生のアトリエに遊びにいくと淡墨の「燃」が飾ってあり、
森大衛のそれは濃墨で構成も違うが、やはり同じ語句は嫌だ。


また「獅子吼」というのもよくある。
しかし、その言葉に限定してしまうのは嫌だ。
「獅子奮迅」や「獅子の子落とし」など、獅子からイメージするもの
すべてを含有させるには「獅」と書くしかない。
ちなみに「子」はなくても「獅」は獅子を意味する。


筆法は「光明皇后の樂毅論」を基本にした。
樂毅論を書く時の極意は腹筋を使う。
他の古典もさまざまな部位を連動させて表現するが、
樂毅論は丹田から鳩尾にかけての収縮がものをいう。
しかし、「鵬翼」や「不断」や「鶴脚」のように、
それを拡大化したようなものにはしたくなかった。


筆との格闘、紙との格闘、墨との格闘、自分との格闘の日々が始まった。


筆は、馬の腹毛といわれる馬にしては柔らかい羊毛に近い毛質の筆を選んだ。
墨の含みが良く、一筆で一気に最終画まで運筆できる。


紙は、中国の紅星牌綿料単宣。
この紙は淡墨では美しい滲みが広がり、濃墨では艶やかで深みのある黒さになる。


墨は、呉竹精昇堂の「抱雲」を墨擦り機で大量に擦った。
比較的安価な墨ではあるが大量に使用する場合は仕方がない。
いや、逆に滑らかすぎる墨は筆が開きづらくなるので、
半紙の臨書で使うものよりも荒削りなものの方が向いていたりする。


いよいよ書き始めた。しかし、全くどうしようもなかった。とにかく紙が裂ける。
実は硬い筆の方が紙は裂けない。柔らかい筆は墨の含みが良い分、紙にも深く浸透する。
水分が深く浸透するということは、金魚すくいの紙のように脆くなる。


同系の「掴」「燃」はすぐに仕上がったのに、「獅」は全くダメだった。
毎日何十枚も書き続けた。借家でありながら壁にも柱にも墨を飛び散らせた。


もはやそれは樂毅論の筆致ではなかった。
光明皇后も空海も顔真卿も井上有一も含有し、
しかしどれでもない森大衛だけの線を出したい。


強烈な筋肉痛に襲われた。しかしバーベルは持ち上げた。
迎い酒のように痛みが緩和されるような気がしたからだ。


気がつけば9月の残暑からストーブが必要な12月に突入していた。
朝目覚めるとストーブをつける。灯油が燃える匂いに侘びしい北陸の冬の訪れを感じる。
しかしすぐにバーベルを持ち上げ体を火照らせたらストーブを消し、「獅」に挑む。


大量に擦った墨も、何反も買った紙もそろそろ底をついてきた。
ついでに金も底をついてきた。
しかし、〆切は待ってくれない。。
巷はクリスマスムードいっぱいだ。去年は個展会場で50人以上の
パーティを行なったが、今年は一人だ。


いよいよ最後の決戦だ。
どのくらい書いただろうか、1枚だけ紙が裂けずに最終画まで筆が運べた。
紙には強く筆を当てるが下敷きには決して圧力をかけず、
筋力で筆が展開した不思議な感覚でこの「獅」は現れた。


Shishi


このあとにもまだ数枚書いたが、やはり紙は裂けた。
もうこれでいくしかない。破けずに書けたこの一枚しかない。


気がつけば書き損じた紙をぎゅうぎゅうに詰め込んだゴミ袋が
玄関の天井にまで積み重ねられていた。
向かい角が収集場所だったにも関わらず、
いつも収集時刻前に起きることができなかったからだ。
当時はまだ前の晩に出してもよかったが、
夜は書くことに必死でずっと出すタイミングを逃していた。

濃墨の水分を含んで閉じられたゴミ袋はずっしりと重かった。


さて、その後、独立書展が始まる1月までのことはなぜか記憶にない。


つづく

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2008年7月17日 (木)

広島大学「HU-style」

広島大学の学生のための広報誌
『HU-style』の最新号 Vol.14(2008年7月号)
巻頭の「あの人に会いたい」に森大衛が登場しとります。good


Hu_style

一瞬、「どーなのよ!森 大衛」に見えなくもないけど。sweat01


取材依頼がきた時「富山でも東京でもなく広島ってのはなぜsign02
あ、世界一の筆の生産地だからだsign01」と思ったら、
学生達はそれをよく知らなかったみたいで、
取材の後にしっかり説明しておきました。


内容はこちらからご覧いただけます。
これまでに受けたインタビューやブログにも書いてない発言があるかも?

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連載「MISTY」2008年8月号

Misty_08


MISTY(ミスティ)8月号が発売になりましたぜ。good


今回の“一文字”は『海』
そして今回の“言の葉”は、また忘れました。sweat02
毎回、翌月の原稿を書き終えた頃に、今月の号が出るのよね…。
だからといって、自分が書いた言葉をそんなに簡単に忘れるもんsign02
って感じだけど、忘れるんですよマジ。coldsweats02


プロフィール写真は新しくなりました。sign03


立ち読みはダメよ。annoy

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「燃」

この個展を終えてすぐに森大衛はストイックに筋トレに励み出していた。


毎日のようにスポーツクラブに通い、時間があれば自宅でも
バーベルやダンベルを持ち上げた。


筋肉とは正直な生き物で、半年後には体重が10キロ増え、
Tシャツが肌に張り付き、それまで穿いていたジーンズは
太ももで止まって入らなくなった。


元々線が細い森大衛なので、それで普通体型になったともいえるが、
それは体型云々よりも作品を書くためのカラダ作りだった。


1月の独立書展で独立賞が欲しい。


9月下旬頃、まずは「燃」を書いた。
当時、ユーミンの新譜発売前にラジオでオンエアされ始めた楽曲、
情熱に届かない~Don't Let Me Goの「白いキャンバスが燃えるほど」
という歌詞に触発されて選んだ文字だ。

赤い西日が差し込む残暑の夕方に1枚だけ書いたのを憶えている。


En


しかしそれでだけでは不完全燃焼だった森大衛は、次に「獅」に取りかかる。


つづく

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2008年7月16日 (水)

信頼と保守

本格的に書の勉強を始めた頃、
「戦後日本の書をダメにした7人」という本を読んだ。
続編の「続・戦後日本の書をダメにした7人」ってのもあった。
ベストセラーになったように思う。


内容は、日本を代表する書道家の手クセを痛烈に酷評したものだ。


当時の師匠や他の先生方はあまりの強烈さに苦々しい表情をしていたが、
系列でもなんでもない著者(大溪洗耳氏)の批評を、当時20歳そこそこの
森大衛は「うん、わかるそれ!」とほくそ笑みながら読んでいた。
もちろん酷評された書家を馬鹿にしていたわけではない。
自分ならどう表現するかの指針のためだ。


若さというのは釈然としないものを明快に裁くと共感する。
「達筆王」の人気要因の何パーセントかがそうであったように、
純粋で残酷なのが若さというものであり、その感性はあながち間違いではない。
ある意味ドSでありドMであるとも言える。
イベントで「×でいいから朱を入れてください!」と参加者に言われるのもそうだ。


そういえば、森大衛は書を学ぶにあたり、
どの先生に教わるかの選択肢がいくつかあった。
挑み甲斐のある修練と表現の師であるかを冷静に考えて師の門を叩いた。


あれから20年、森大衛は「信頼できる作品を書く」ことを肝に銘じて書に取り組んでいる。


しかし、信頼とは保守ではない。


つづく

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2008年7月14日 (月)

「掴」

'90の初個展では「ANNIVERSARY」以外にも歌詞を書いた作品が何点かあった。
しかし、その後は敢えて書かないことにした。


言葉の力に頼る中途半端な書道家にはなりたくない


『掴』は'91夏の夕方に書いた。
約135cm×100cmの大型作品だが、しゃがみ込んで書いたのを覚えている。
半紙の臨書の拡大版のような書き方だ。


Koku


「國」の二画目の右上に向かう筆の吊り上げと角の受け取り、
その角での腰の入れ具合から下部への展開そして上部への巻き上げは、
顔真卿や空海の筆法を取り入れている。


この作品は上野の森美術館で開催された「独立秋季展」に初入選した。


しかし、それでは満足できなかった。「もっともっと突き詰めねば!」
そして『燃』『獅』の制作へと突き進むことになる。


つづく

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2008年7月13日 (日)

'90'91といえば

その頃はバブルの絶頂期だったように思う。


でもそれはブラウン管の中だけの話。森大衛とバブルは無関係だった。


個展のムードはバブリーだったかもしれない。でも設営はほとんど文化祭ノリ。
デザインの仕事をしている友人や、東京で映画や舞台の仕事をしていたが
親の面倒を看なくてはならなくなって富山に戻ってきた友人や、
芸大に落ちて国立の工芸科がある高岡短大に来た若者達が、
無償で手伝ってくれたからだ。


みんな貧乏だった。森大衛は一袋68円のパンの耳が主食だった。
仕送りをしてもらっていた学生達より明らかに貧しかった。
しかし、それゆえに夢があった。また彼らの審美眼は厳しかった。
彼らの存在が励みになり、彼らが共感してくれなければ開催には至らなかったと思う。


そんな中、書道界での森大衛の噂はというと、
「彼はいいとこのおぼっちゃまだからあんな派手な展覧会が出来るそうよ」
うちの母親が美容院でたまたま隣になった見知らぬ書道の先生が
本人の親とは知らずに言った言葉だそうだ。
「おぼっちゃまだって!それってどこの誰?(笑)」
まあ、他人からはそう見えていたのなら、展覧会は成功だったということだろう。


さて、ひとつの大仕事が終るか終らないかのうちに、
全く違う欲望が沸き上がるのが森大衛のあまのじゃく的性格だ。
小さな個展から大きな個展、そして次は何を…


すべてのエネルギーを一枚の作品だけに注入したい。


日頃から半紙の「臨書」は鬼のようにやっていた。
臨書こそ書家にとって最大の「功徳」だからだ。
筆も墨も半紙も練習で使うものですら高額のものを使っていた。
貧乏のくせにそれだけは譲れなかった。美容師が使うハサミのようなものだ。


「もうこれ以上のものは書けません!ごめんなさい。と言えるような作品が書きたい」
そう思った森大衛は、作品『掴』の制作に取りかかることになる。


つづく

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2008年7月11日 (金)

'91個展

1991年4月富山市民プラザにて。


Koten9101 Koten9102

まるで書道展ではないようなデコレーションです。


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会場前で4m×4mの大作を書きました。


なんだか「ただ他人とは違う目立つことをやればいい」みたいな展覧会でしたね。
26歳と若かったってこともあるし、バブルってこともあったかも?


ただこの後、もっと作品自体に本腰を入れねばならぬsign03と思い始めていました。

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'90初個展の写真

会期:1990年11月23日〜12月25日
会場:ギャラリーバルト(富山市)


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書道展とは思えないような案内状でした。


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書道展とは思えないような会場でした。


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書作品とは思えないような表装でした。


すでにこの作品も書いて展示していました。

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2008年7月 9日 (水)

個展のようなもの?

2008年7月23日(水)~8月11日(月)まで、
都内某所で「作品のようなもの」を展示します。


ようなものというのは、
渋谷教室の生徒達に書いた臨書の手本がほとんどだからです。


「ちょっと貸してbleah」と頼んで、これまでに書いた手本から
ピックアップしての展示です。


主なものは、「蘭亭叙」「雁塔聖教序」「牛橛造像記」
「楽毅論(光明皇后)」「香紙切」など。


あとは「いいとも!」で披露した作品が数点あるかも?


詳細については、またあらためてお知らせします。

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2008年7月 4日 (金)

豪華絢爛

WAHAHA本舗版 ザッツ・エンターテインメント
踊るショービジネス・FINAL(ファイナル)
~満月ダンス御殿の花嫁
富山公演を観て来たよ。


もう幕が上がった時点で感動sign03
美しく荘厳過ぎてウルウルしそうだったよweep
これからとてつもなくおバカなことが繰り広げられるはずなのにsign02

でも、おバカなことを思う存分楽しむことはとても奥深い。
ワハハの舞台は観るもの全てが総合芸術、
ザッツ・エンターテインメントの名の通りです。

ちなみにFINAL(ファイナル)というのは、そういう仮定という意味で
これでワハハの全体公演が最終回という意味ではありません。


一昨日は、柴田理恵さん&若手メンバーで飲みbeer
昨日は、久本雅美さん&若手メンバーで飲みbeer
地元の観光課の人やアナウンサーも参加して大盛り上がりでしたbeer


柴田さんや久本さんは殺人的スケジュールだけど、
それでもちゃんと舞台をやるということをとても大事にしています。

「舞台という基礎があるから、テレビで頑張れるflair
先生も書道っていう基礎があるからそういうのわかるよねsign01

「はい、僕はいいとも!がきっかけだからよく『お笑い出身ですsign01
って言ったりするけど、それは逆に書という基礎があるから言えるんですよ」

そしてワハハの仲間をとても大事にしています。

「私達はコイツらがいるからいろんな意味で熱くなれるflair
先生の生徒を育てるという意識に通じるよねsign01

「うちの生徒も含め、日本中で書道をやってる人達の志も意識して、
自分が好き勝手やっておかしな方向にはいかないようにしてますね」


また、それぞれの演目が完成するまでの苦悩や喜びの紆余曲折も伺い、
どんな分野にも通じる深くて熱い涙と笑い(ほとんどが笑いだけど)で、
気が付いたら朝を迎えていました。sweat02


画像は同行した中学の同級生達とcamera
Wahaha

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2008年7月 3日 (木)

美麗

「熱い想いが書を書く原動力」なんてことはない。
何もないところから鍵盤の上に指を踊らせているうちに
何かが見えてくることもある。


これは一昨年の独立富山支部書展で発表した「美麗」。

Photo

WEBでは初公開の作品です。


翌年の同展覧会に出品したこの作品とは
発想も見た目も真逆の作品ですね。


この作品は白百合のような佇まいを感じてもらえるのが望ましい。

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