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2008年7月16日 (水)

信頼と保守

本格的に書の勉強を始めた頃、
「戦後日本の書をダメにした7人」という本を読んだ。
続編の「続・戦後日本の書をダメにした7人」ってのもあった。
ベストセラーになったように思う。


内容は、日本を代表する書道家の手クセを痛烈に酷評したものだ。


当時の師匠や他の先生方はあまりの強烈さに苦々しい表情をしていたが、
系列でもなんでもない著者(大溪洗耳氏)の批評を、当時20歳そこそこの
森大衛は「うん、わかるそれ!」とほくそ笑みながら読んでいた。
もちろん酷評された書家を馬鹿にしていたわけではない。
自分ならどう表現するかの指針のためだ。


若さというのは釈然としないものを明快に裁くと共感する。
「達筆王」の人気要因の何パーセントかがそうであったように、
純粋で残酷なのが若さというものであり、その感性はあながち間違いではない。
ある意味ドSでありドMであるとも言える。
イベントで「×でいいから朱を入れてください!」と参加者に言われるのもそうだ。


そういえば、森大衛は書を学ぶにあたり、
どの先生に教わるかの選択肢がいくつかあった。
挑み甲斐のある修練と表現の師であるかを冷静に考えて師の門を叩いた。


あれから20年、森大衛は「信頼できる作品を書く」ことを肝に銘じて書に取り組んでいる。


しかし、信頼とは保守ではない。


つづく

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