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2008年8月28日 (木)

王羲之の奥義

よく生徒達から「江戸東京博物館に展示中の蘭亭序を見に行かれました?」
と聞かれるが、「行ってないよ。あんまり興味ないから。」と答える。


正確にいえば興味がないわけではなく、今回一番の目玉となっている蘭亭序の
「八柱第三本(神龍半印本)」にはさほど魅力を感じないんです。
「八柱第一本(張金界奴本)」であれば毎日でも見に行きたい。


「八柱第三本(神龍半印本)」を例えるなら、
無機質な蝋人形館のあの何ともいえない虚しさに近い。
あと、王羲之らしからぬ不自然な運筆がところどころに見受けられる。


王羲之が「書聖」(書道史上、最も優れた書家とされる)と称されるのは、
後世の書家が王羲之を手本としてきたパイオニアということだけが理由ではない。
書いてある文章と書表現の関連うんぬんでも決してない。
それだけならあまりにも王羲之に失礼だ。


王羲之の書には、レオナルドダビンチやミケランジェロに匹敵する奥義がある。


「八柱第一本(張金界奴本)」には、
人間の身体的機能から輪廻転生という死生感、
自然の摂理や宇宙の法則までもが、その絶妙な筆法の中に含有されており、
見るごとに書くたびに新鮮な発見がある。
それこそが王羲之が書聖と呼ばれる所以といえる。


もちろん「八柱第三本(神龍半印本)」も貴重な財産であるけれど、
「八柱第一本(張金界奴本)」であれば毎日でも見たい。
見たい見たい見た~い!

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