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2009年5月10日 (日)

普遍的な美の追求

突拍子もないタイトルではじまりました今日のブログ。


小学4年の春から書道教室に通い始めた森少年は、
他のクラスメイトよりも出遅れていた。
しかし、実はどんな先生に教わるかの選択肢が
いくつもあったからこそ出遅れたと言っても過言ではない。


「この先生の実力は確かだ!」


そう確信が持てる先生に巡り会えたからこそ教わった。
書道教室に通うクラスメイトは、書道バッグの中にある
それぞれの先生のお手本や競書雑誌の課題を比べ合った。
小学生も3,4年になれば、どの手本が上手いかの分別はつく。


なぜ「うちの先生が上手い」のかを分析した森少年は、
「ここがこうだから!」とクラスメイトや担任までも納得させた。


しかもそのうち先生にまで
「僕はこの書き方の方がかっこいいと思うから!」と
もらった手本とは若干違う書き方にする字もあった。


今でも覚えてるのが、4,5年の書き初めの課題
「光る立山」「光る初日」の『る』だ。

唯一のひらがな、曲線の『る』が楷書で直線の漢字3文字に
違和感なく溶け込むためには最後の返しがポイントになる。
書き初め用紙のほぼ中央に位置する『る』の返しが弱いと
全体が不安定に見える。『ろ』のおまけつきが『る』ではない。
廊下に並べられた他の生徒の作品をみると一目瞭然だ。

のちに『る』が『留』から成り立っていることを知り、
楷書として書くひらがなの『る』のポイントが
そこにあることも実感した。

「かな」として書く場合は連綿の気脈に合わせて多様化させる。


そんなこだわりは、明らかに自分への枷となった。


「変なものをみんなに見せたら笑われる」
「変なものを人前に晒すのは末代の恥」

いや「変なものにも確固たる強い美意識が含有されていればヨシ」


そうでなければ続かなかったと思う。
たかが一枚の紙切れのために何十枚も何百枚も書いてきた。
習字から書道、書芸術へと表現がさらに進化し続けても、
あるいは自分の中に突然変異が起こったとしても、
そのスタンスはずっと変わらない。

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コメント

「獅」が自分の背中を押しました。柿沼康二氏の臨書が自分を崖まで連れ出しました。獅子は子を崖から落とすらしいです。どうやら森先生に崖から突き落とされたようです、「書道」という名の海の中へ。

投稿: 喜平次 | 2009年5月15日 (金) 12時09分

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